以前、私は日本の医療機器メーカーで輸入担当のマネージャーをしていた。

主な仕事は、アメリカを中心とする海外企業から、整形外科向けの医療用サポーターや機器を輸入することだった。

それ以前に建材メーカーの購買部門で海外調達に携わっていた経験もあり、日本国内で購入している材料や製品を海外から調達し、コストを下げる活動を積極的に進めていた。

今回の相手は、ノースカロライナ州にある既存の仕入れ先から紹介された会社だった。

ノースカロライナを含むアメリカ南東部は、かつて「コットンベルト」と呼ばれた綿花の産地である。綿を使った編み物や靴下などの産業が発達してきた地域でもあった。

紹介された会社も、そうした技術を持つ地元企業だった。

ただし、アメリカ国外の企業と取引するのは、私たちとの仕事が初めてだった。

そこから始まったのは、単なる品質改善の話ではない。

何をもって「良い品質」と考えるのか。その常識が異なる相手と、どう共通の基準を作るか。

そんな仕事だった。

「2、3メートル離れれば分からない」

最初に度肝を抜かれたのは、製品ではなく段ボール箱だった。

調達しようとしていたのは、綿で編まれたチューブ状の医療用材料である。何十メートルという長さの製品を巻いた状態で、サイズごとに印刷済みの段ボール箱へ入れて出荷する。

その段ボールについて、現地の梱包材業者と打ち合わせをしたときのことだった。

業者が持ってきた印刷済みの段ボールサンプルを見ると、表面に細かな粉が広がっていた。

紙粉なのか、印刷工程に由来するものなのかは分からない。非常に細かなものではあったが、日本で商品として販売する箱としては、そのまま受け入れられる状態ではなかった。

私は、

「これでは困ります」

と伝えた。

すると相手は、その段ボールを数メートル先へ置いた。

少し離れたところから箱を眺めて、

「ここからなら分からないよ」

と言ったのである。

冗談ではなく、本気だった。

私にとっては、これが日米の品質感覚の違いを初めて強烈に感じた瞬間だった。

品質の常識は、世界共通ではない

ただし、この話を、

「アメリカの会社は品質におおらかで、日本の会社は品質が高い」

という単純な結論にしてはいけないと思う。

相手から見れば、箱には必要な情報が印刷され、中の商品を保護できている。

機能上、問題はない。

一方、日本市場では、パッケージの見た目も商品品質の一部として評価される。

箱が汚れていたり、印刷が乱れていたりすれば、顧客は中身の品質にも不安を持つ可能性がある。

どちらかが正しく、どちらかが間違っているというより、市場が商品に求めているものが違うのである。

この違いは、製品そのものにも表れた。

綿で編んだチューブ状の製品は、編み上がったものを何十メートルという単位で巻いて納品する。

綿の編み物なので、引っ張る力によって伸び縮みする。

強くテンションをかけて巻けば長くなり、緩く巻けば短くなる。一定の長さにそろえることは、見た目ほど簡単ではない。

それでも日本側には、長さを決められた許容範囲に収めなければならないという品質基準があった。

日本に輸入した製品を確認し、

「このロットには、長さが基準から外れているものがあります」

「ばらつきを、もう少し小さくしてください」

と改善を求めた。

しかし、同じような指摘を繰り返すうちに、相手の社内に疑念が生まれ始めた。

「難癖をつけて、代金を払わないつもりではないか」

彼らから見れば、それまでアメリカ国内では問題なく販売してきた製品である。

ところが、初めて取引する日本企業は、箱の細かな粉や、伸縮する編み物の長さまで問題にする。

そのため相手は、私たちについて、

「細かい難癖をつけて、最後には代金を払わないつもりなのではないか」

と疑い始めた。

こちらは、日本市場で商品を成立させるために必要な改善を求めているつもりだった。

しかし、その背景を知らない相手から見れば、次々に追加条件を持ち出す信用できない買い手に見えたのかもしれない。

双方の雰囲気は、次第に悪くなっていった。

品質の問題に見えて、実際には信頼の問題になっていた。

「知らないなら、この人から学ぶしかない」

そんな状況で、現地に集まって対面の会議をしたときのことである。

会議の雰囲気が荒れ始めた。

相手側にも言いたいことがあり、こちらにも譲れない事情がある。

そのとき、先方の営業マネージャーが全員を一喝した。

かなり年配の人物だった。

若い頃に米軍の一員として沖縄に駐留した経験があり、その会社の中では数少ない海外経験のある人だった。

彼は、同僚たちに向かって、次のような趣旨のことを言った。

「お前たちは、日本の市場を知っているのか」

「日本で要求される品質について、知っているのか」

「知らないだろう」

「知らないなら、この人から学ぶしかない。この人の言うことを信用するしかないんだ」

この言葉をきっかけに、その場の空気が変わった。

私たちの要求をすべて無条件に受け入れろ、という意味ではなかったと思う。

自分たちの経験だけで、知らない市場の要求を否定してはいけない。

まず、なぜその要求があるのかを学ぼう。

彼は、そう言ってくれたのだと思う。

指示された改善から、自分たちで考える改善へ

その後、相手の会社は本気で品質改善に取り組むようになった。

中心になったのは、品質管理のマネージャーだった。

人柄のよい、誠実な人物だった。

長さのばらつきを小さくするため、編み方や巻き取り方法を見直す。

製品をどのように測定し、判定するかを話し合う。

日本側の基準に入れるために、現場の人たちも含めて改善を進めてくれた。

やがて、こちらが頼んでいないことまで提案してくれるようになった。

あるときは、

「段ボールの印刷業者を変更して、箱の品質を改善した」

と報告してくれた。

最初は「数メートル離れれば分からない」と言っていた段ボールの問題を、自分たちの判断で改善するようになったのである。

ここには大きな変化がある。

要求されたから仕方なく直すのではない。

日本市場で良い商品を販売するという目的を理解し、そのために自分たちで考えて動くようになった。

品質改善が、買い手からの命令ではなく、双方の共通目的になった。

「日本人は、なぜ箱にまでこだわるのか」を伝える

もちろん、相手だけに努力を求めたわけではない。

私にも、日本市場について理解してもらう責任があった。

できることなら、相手の人たちを日本へ招き、百貨店の地下食品売り場などを一緒に歩けば早かったと思う。

日本では、中身だけでなく、包装、箱、商品の並べ方にまで細かな注意が払われている。

しかし、簡単に全員を日本へ呼べるわけではない。

そこで私は、アメリカへ行くたびに、日本のお菓子を持っていった。

うなぎパイや白い恋人など、一つひとつがきれいに包装され、箱にも細かな配慮がされている商品である。

それを実際に見せながら説明した。

「日本では、中身と同じくらいパッケージも見られます」

「包装が丁寧であれば、中の商品も丁寧に作られていると感じてもらえます」

「逆に、箱が汚れていれば、中身の品質まで疑われることがあります」

抽象的に「日本は品質に厳しい」と言うだけでは伝わらない。

実物を見せることで、日本の顧客が何を見ているのかを理解してもらおうとした。

品質基準を伝えるには、数値や規格だけでは足りない。

なぜその基準が必要なのか、その市場の感覚まで翻訳する必要がある。

この経験から、私はそう学んだ。

ドーナツを見て「これは不良品だね」と笑った日

その会社があった地域は、日本でも知られるようになったクリスピー・クリーム・ドーナツの発祥地に近かった。

地元の人たちにとっては、自慢の店だった。

ある夜、先方の人たちと食事をした後、みんなで店へ行った。

そこでは、ドーナツが揚げられ、ラインを流れていく様子を客席から見ることができた。

流れてくるドーナツの中に、少し形の崩れたものがあった。

すると、品質管理のマネージャーが言った。

「あれは不良品だね。はねなきゃいけないね」

みんなで大笑いした。

以前なら、品質について話すと場の空気が険しくなっていた。

しかし、その頃には「良い品質をどう作るか」ということを、冗談にできるほどの共通言語ができていた。

あの形の悪いドーナツは、私たちの関係が変わったことを象徴していたように思う。

相手を変えたのではなく、互いの世界が広がった

その後、私は会社を辞めることになった。

あの営業マネージャーに退職を知らせるメールを送ると、とても温かい返事が届いた。

私と仕事をしたことをきっかけに日本との取引が始まり、自分たちの視野が広がった。

非常によい経験になった。

そんな趣旨の言葉が書かれていた。

私も同じ気持ちだった。

日本側がアメリカ企業に品質を教えた、という一方的な話ではない。

私も彼らとの仕事を通じて、品質基準は世界共通ではないことを学んだ。

自分たちにとって当然の要求でも、その背景を説明しなければ、相手には理不尽な要求に見える。

逆に、目的を理解し、信頼関係ができれば、人は頼まれた以上のことまで考えて動いてくれる。

異なる常識をつなぐのが、国際ビジネスの仕事

国際ビジネスでは、言葉を翻訳するだけでは足りない。

品質の考え方。

顧客の期待。

パッケージが持つ意味。

なぜそこまで細かく確認するのか。

そうした、一方の市場では当たり前で、もう一方には見えていないものを翻訳する必要がある。

相手に要求を伝えるだけでは、関係は動かない。

相手の疑念を理解し、実物や具体例を使って背景を説明する。

そして、自分が知らない相手の事情についても学ぶ。

その積み重ねによって、最初は対立していた品質基準が、やがて双方の共通目標になる。

異文化間の仕事で本当に必要なのは、自分の常識を押し通すことではない。

異なる常識の間に橋を架け、相手が自分の意思で動けるところまで理解を作ることだ。

数メートル離れれば分からないと言われた段ボールから始まった仕事は、最後には互いの視野を広げる取引になった。

それが、私がこのアメリカ企業との仕事から学んだことである。