取引を始める。

最近はきっと良い方向に変わってきていると思っていますが、当時(2000年前後)は、アジア各国の中で日本人、特に中年世代は、ろくなイメージが無かったです。現地の人を見下すような言動をする人も多く、提携先の社長、工場長も、取引している日本の商社の現地駐在担当者が嫌いでした。仕入れや外注の仕事は、いかに協力企業にこちらを向いてもらうか?がカギですので、まずはじめに工場の作業者(ほとんどが洋裁の専門学校を出た若い女性)を集めてもらい、「良いものを作っていただきたいので、どうか協力してください」と丁寧に頭を下げてお願いする所からスタートしました。

 

当たり前のこと(と私は思っています)ですが、常に対等な関係であることを意識して取り組み、「あなたは私たちが知っている他の日本人と違う」と言ってもらえるようになりました。そこからの仕事はスムーズでしたね。社内には中高年採用で、カネボウやレナウンの技術系OB社員がいましたので、その人たちを連れて工場に乗り込み、品質の打ち合わせを行いました。輸出入に関しては、ともに仕事を立ち上げることに協力的なフレイトフォワーダーを選びました。原材料は日本から輸出し、出来上がった製品を輸入する委託加工貿易について、フォワーダーの方に教えてもらいながら進めました。関係者のスキル・経験も十分だったし、モチベーションも高かったので、初めに訪問してから半年~1年で業務をスタートすることが出来ました。

 

コストの違い

当時のハノイ周辺における、縫製工場作業者の1か月分の給料は、45ドル(およそ5000円)でした。従来委託していた、日本の東北地方における同賃金は、13万円程度でしたので、約25分の1。これだけの大きな差があったので、輸出入の費用や、検査にも十分人と時間を投入することが可能でした。この為、製品コストはおよそ5分の1、総額で年間6千万円という大きなコスト削減を達成すると同時に、品質も向上することが出来ました。自分の手掛けてきた仕事のなかでも、とても満足のいく結果を出すことが出来た事例だと思っています。

 コミュニケーション

上に書いたように、取引先とは良好な関係を維持できましたが、それに欠かせなかったのがお酒。「アジアで仕事するには飲めなければ無理」と言われますが、ここも例外ではなく、昼食からお酒が出てきました。工場長が私たちの訪問に合わせてお酒を仕込んでいて、季節の果物を使った様々な果実酒(ポリタンク入り)を楽しませてもらいました。冬だけは、使える果実がなかったので、と工業用アルコールのようなお酒を、付き合いだからがんばって飲みました。

 

夕食でも当然飲みましたが、毎晩ではなく、いつも出発の前夜に派手な飲み会をしました。いくらこちらが対等な接し方を心がけても、相手が日本人に対して距離感を感じていましたが、飲んで酔っ払えば、日本人もベトナム人も関係なくなり、「同じアジア人」という連帯(?)が生まれました。お酒を飲んだ翌日から、相手が急に(良い意味で)なれなれしくなる。というのはアジアで繰り返し経験してきた事です。

 

夜のお酒の席で、必ず出てきたのは、ルアモイという名前のうるち米と米麹を原料とした、ベトナムを代表するスピリッツ。「LUA(稲) MOI(新しい)」は初穂の事。韓国の眞露に少し似ています。お酒好きな方は、ぜひ一度試してみて下さい。